“江の島岩屋”は約6000年前から、海中で断層に沿って波が掘り進んでできたもので、地震により島全体が隆起し今のような地形になりました。
島の周囲には他にも海食洞がいくつかあり、どれも岩の割れ目の弱い所に沿って波が掘り進んだことが分かります。
“第二岩屋”の最奥には“龍神”が宿り、その前で手をたたいてみると何かが起こります!
岩屋には多くの石造物があります
◆龍神などの弁財天にちなんだ石造物が見られます
岩屋は古くは役小角(えんのおづの)という修験道の大先達が参籠したと言われ、弁財天がまつられ庶民信仰の対象でした。
岩屋詣でが盛んに行われ、参詣に来た印にさまざまな石造物を奉納し今に残されています。
その中には龍神や巳像等の弁財天にちなんだ石造物が数多く見られ、庶民の信仰のあつさが分かります。
“稚児ヶ淵”の悲恋伝説
◆稚児白菊がここから身を投げたのが地名の由来
建長寺の僧“自休”は、江の島での百日間の参籠の際、江の島へお参りに来た、鶴岡八幡宮の稚児“白菊”に一目ぼれします。
しかし、悲恋に終わり、白菊がここの断崖から身を投げてしまうと、自休も後を追ったという伝説があります。
ここから眺める富士山の夕焼けは美しく“かながわ景勝50選”の一つです。
“岩屋橋”からの眺望は絶景!
“岩屋”へは、岩棚に架かる橋を渡っていけますので、相模湾の絶景を楽しむことができます。
全長128mの“岩屋橋”からは、相模湾とその先に広がる富士、箱根、伊豆が一望できます。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。