鎌倉五山第二位の円覚寺は第8代執権北条時宗が、二度にわたる蒙古襲来による殉死者を敵味方の区別なく平等に弔うために弘安5年(1282)に創建しました。
時宗は師として深く帰依した中国・宋より招いた無学祖元禅師を開山とします。
寺名は、建立の際に、寺域を掘ると仏教の経典「円覚経」が出土したことから名付けられたようです。
国家の安泰を願って洪鐘を鋳造
◆洪鐘の鋳造にまつわる縁起
円覚寺の三門右側の丘の上には国宝の“洪鐘(おおがね)”が架けられています。
正安3年(1301)に9代執権北条貞時は父時宗の“天下泰平”の遺志を継いで、鋳物師物部国光に洪鐘を鋳造させます。
しかし、鋳造は二度も失敗に及び、貞時は、時の住持西澗子曇(せいかんすどん)に相談します。
貞時は江ノ島弁才天に参籠
◆宿龍池の水底から金銅を得ます
子曇に「江ノ島弁才天に7日間参籠しなさい」と言われた貞時は、7日7夜、その通りに弁才天に祈ります。
7日目、夢中に現れた神霊が貞時に「寺内の開山堂裏の宿龍池(しゅくりゅうち)の水底をさぐってみよ」と呼びかけます。
そして、一塊の龍頭形の金銅を手にすることができ、この金銅を使い鋳造に成功します。
これを機に江島神社より宇賀神像を勧請し、円覚寺の鎮守としています。
弁天堂は眺望絶景です
貞時は、江ノ島から石造蛇形(へびがた)の弁才天を洪鐘のご真体として鐘楼のかたわらに勧請し、「洪鐘大弁才功徳天」と名づけてまつりました。
この堂は、伝説にちなんで建てられた宇賀神(弁才天)をまつる弁天堂です。
ここからの眺望は絶景です。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。