“龍口明神社”(鎌倉市)のご祭神は「玉依姫命(たまよりひめ)」と「五頭龍(ごずりゅう)大明神」の2柱。
玉依姫命は初代神武天皇の母君で龍神として尊崇されました。五頭龍大明神には伝説があります。
昔、深沢の辺りの大きな沼に五つの頭をもった五頭龍がすみ、大変な暴れ者で村人を苦しめ、村の子供を食べるように。
村人は他村に移って行き、この辺りを子死越(腰越)と呼ぶようになります。この五頭龍が神となった訳とは…。
弁財天に一目ぼれした五頭龍は求婚します
◆腰越前方の海面に江の島が湧き出します
欽明13年(552)に腰越前方の海面に暗雲が立ち込め、雲の上には天女(弁財天)が現れ、海面には江の島が湧き出します。
龍は天女の美しさに一目ぼれして求婚。天女が「人々を苦しめている方とは結婚できません」と言うと、龍は「今後は人々を助けるようにつとめます」と誓い天女と結ばれます。
五頭龍は山と化して、この地を守る神様となります。
村人は山と化した五頭龍大明神をまつります
◆龍口山の龍の口にあたる所に社を建立
村人たちは山と化した五頭龍をまつるために龍口山の龍の口にあたる所に社を建て白髭(しらひげ)明神と呼ばれて村の安泰を祈願しました。これが龍口明神社の発祥と伝わります。
養老7年(723)に江の島岩窟中で泰澄(たいちょう)大師が修行中に夢枕に現れた神々を彫刻し、弁財天は江島明神へ、玉依姫命と五頭龍大明神は同社に納めたと伝わります。
60年に1度の“還暦巳年祭”
龍口明神社と江島神社では、60年に1回、巳(み)年に「還暦巳年祭」を行っています。
この祭では、龍口明神社の五頭龍の彫り物をみこしで担ぎ、江の島へ渡り、弁天様とお引き合わせしています。
なお、龍口明神社は昭和53年(1978)、龍の胴に当たる現在の地に遷座されました。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。