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建長寺仏殿/鎌倉市山ノ内8番地 JR北鎌倉駅から徒歩約15分


鎌倉五山第一位の建長寺は日本で最初の“禅の専門道場”として創建されました。
建長5年(1253)に5代執権北条時頼が宋の名僧・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)禅師を開山に招いています。
この地は以前は地獄谷と呼ばれた罪人の処刑場と伝わります。
この谷には地蔵菩薩を本尊とする“心平寺”というお堂が建っていて、建長寺創建に際し堂は坂上に移されました。

蘭渓道隆禅師は“法語規則”で修行僧を指導

◆中国宋朝の禅風を導入
禅師は寛元4年(1246)33歳で来朝し、建長寺入山は40歳頃です。
禅師は中国宋朝の禅風を導入し、大変な意気込みで百人余に及ぶ修行僧たちを指導。自筆の国宝「法語規則」により、厳しい修行の内容を知ることができます。


諸堂の整備

◆中国の径山(きんざん)万寿禅寺の伽藍配置を模しています
大規模な伽藍の整備にはさらに長期の歳月が必要とされました。
元弘元年(1331)につくられた「建長寺指図」の写しは往古の荘厳な姿をしのばせています。
総門・三門・仏殿・法堂・方丈などの主要な建物が直線上に並び、浴室と西浄(=便所)も三門前の左右に造られるなど中国の径山万寿禅寺を模しています。
三門右側の梵鐘は開創時の鋳造で国宝です。

建長寺の梵鐘(ぼんしょう)

三門再建と“たぬき和尚”の伝説

三門は空・無相・無作の三解脱門の略称で、一般には山門と書きます。
江戸時代の安永年間に再建の大きな2階建ての重層門です。
正面には後深草天皇の筆と伝わる「建長興国禅寺」の額が掲げられ、2階には木像の釈迦如来像と十六羅漢像、並びに銅像の五百羅漢像などがまつられています。
三門再建の時に建長寺の谷奥に住む“たぬき”がお坊さんに姿を変えて、浄財勧進の旅をしたという“たぬき和尚”の伝説があり「狸の三門」と呼ばれています。

建長寺三門

かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。