高徳院(長谷)の正式名称は“大異山高徳院清浄泉寺”で、ご本尊は「露坐(ろざ)の大仏」として名高い“鎌倉大仏”。
阿弥陀如来像で鎌倉では仏像として唯一の国宝です。奈良東大寺の大仏が国家的事業として造られたのに対して鎌倉大仏は民衆の力によって造られました。
像高11.31m(台座を含むと13.35m)で総重量は121tもあります。
源頼朝が鎌倉にも大仏建立を考えたようです
◆稲多野局と浄光上人が頼朝の遺志を継ぎます
建久6年(1195)、頼朝は奈良の大仏殿落慶法要に参列し、鎌倉にも大仏建立を考えたと思われます。
頼朝没後は遺志を継ぎ、北条政子の侍女稲多野局が計画し、浄光上人が全国を勧進して歩いた浄財で木造の大仏と大伽藍を造立。後に倒壊して、建長4年(1252)に現在の青銅の大仏造立をはじめます。
大仏の鋳造方法は…?
◆完成時には大仏は土の中に埋もれていたかもしれません
大仏には横に7段階の線が入っています。大仏を造る前に地面を整地して下から順繰りに土を盛ります。
原型がないといけないので外型と中型を造り、その間に青銅を溶かして流し込み、だんだんと高さをあげていくためにつなぎ目の横線が残っています。
つまり完成時には大仏は土の中に埋もれていたかもしれません。
平成の大仏点検修理の話
10年ほど前に大仏は点検修理が行われました。人に例えれば健康診断と美容を兼ねたものです。
100年前の関東大震災で台座から約50cmも大仏は前に動いたといわれています。13年前の東日本大震災での被害は免れていますが、将来を見据えて免震装置の点検も課題でした。
この時に全身美容も行いましたが、750年以上経っても白髪や抜け毛はなかったようです。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。