画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: kanji-title.jpg
満願寺本堂 横須賀市岩戸1-4-9
(京急線北久里浜駅からバス乗車 バス停「岩戸」下車徒歩5分)

満願寺(まんがんじ)は臨済宗建長寺派の寺院です。建久5年(1194)に源頼朝が三浦一族の追善供養の法要堂として創建。以前は三浦大介義明の十男末子・佐原義連(よしつら)の開基説でしたが、近年、境内から浄土庭園と大型礎石建物の遺構、鎌倉永福寺と同型の瓦が2000枚以上発掘されました。その壮大な規模からして、鎌倉幕府直轄の造営寺院であったと推察されています。

収蔵庫に国重要文化財他4体の仏像を安置

◆2体の国重文は仏像様式から“運慶”作といわれています 
収蔵庫内には菩薩像・地蔵菩薩像・不動明王像・毘沙門天像がまつられています。そのうち、木造菩薩立像と木造地蔵菩薩立像の2体は像高2m以上あり国重文です。その仏像様式から、運慶または運慶派の作と伝わります。菩薩像は義連が平家追討で西国に赴く際、自らの姿を仏像に刻み、運慶に造らせたといわれています。

国重文菩薩像・地蔵菩薩像

三浦義連は“ひよどり越えの逆落とし”の武勇が有名です

◆同寺の裏山に義連の墓が建っています 
義連は同寺に近い場所の佐原城(現横須賀市佐原)を本拠として佐原氏を名乗ります。義連は源義経軍に加わり“一ノ谷合戦”ではひよどり越えの崖を真っ先に駆け下りた武勇が有名です。義連の子孫は宝治合戦で三浦氏が滅ぶと三浦氏を名乗り、会津領を本拠として芦名氏の祖となります。同寺裏山に義連の墓が建っています。

三浦義連の墓

義連は「このような崖は三浦では馬場だ」とひよどり越えを駆け下ります

義連は弓馬術に秀でた勇猛果敢な武将でした。三浦の地は馬の産地でもあり義連は幼い頃から馬を駆っていたようです。“ひよどり越えの逆落とし”では「このような崖は、三浦では馬場だ」と言い放ち、真っ先に駆け下りて見事一番乗りを得たと『平家物語』でも伝えられています。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。