

(JR衣笠駅からバス乗車 バス停「衣笠城址」下車徒歩6分)
義明山満昌寺(ぎめいざんまんしょうじ)は臨済宗建長寺派の寺院です。
鎌倉幕府開創の礎となった源頼朝の忠臣義明の霊を弔うため、建久5年(1194)に頼朝が義明を開基として創建。
同寺は三浦氏滅亡後一時衰退しますが、140年後に天岸慧広(てんがんえこう)の入寺を機に復興され、臨済宗に改められました。
本尊釈迦如来の右手に義明の位牌が祀(まつ)られています。
本堂内には本尊華厳釈迦如来像を安置
◆像は宋元風の装飾性を良く伝えています
華厳釈迦如来像は満昌寺の本尊です。
髪を高く結い上げた頭部に銅製の宝冠をいただき、禅定印を結ぶ、高さ約36cmの坐像です。
目鼻立ちの輪郭が鮮やかな面部は張りを失わず、体軀(たいく=体格)も量感があります。
着衣のしわはやや太くて柔軟さに欠けるが、宋元風の装飾性を伝えています。
南北朝時代(14世紀後半)の作と考えられます。

三浦義明は衣笠城に留まり最期を遂げます
◆境内の御霊神社に義明の衣冠束帯坐像を安置
治承4年(1180)8月の頼朝の挙兵に際し、義明は子の義澄等を参戦させます。
頼朝軍が石橋山の戦いで敗れると義澄等は居城の衣笠城に戻る帰途、由比ヶ浜で畠山重忠軍と戦い破ります。
その後に畠山軍は河越氏や江戸氏の加勢で衣笠城を攻撃。
城を守れないと判断した義明は義澄等一族を頼朝の向かった安房国(現千葉県)に行かせ、自らは、一人城に留まり壮絶な最期を遂げます。
境内の御霊神社には義明の衣冠束帯の坐像(国重文)が祀られています。

“百六つ義明公”とも呼ばれました
源氏再興に忠義を尽くした義明は、89歳で戦死しましたが、頼朝は17回忌の106歳まで義明が生きたとみなして「百六つ義明公」とも呼ばれました。
義明の法名は「満昌寺殿義明禅鑑大禅定門」です。
山号寺号も法名に因んでいます。
同寺では2030年の義明公850年遠忌に向けて義明像を来春まで修理中です。
そのためにクラウドファンディングを行っています。
詳細はHP(https://manshoji.com/)をご覧ください。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。