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釈迦堂口遺跡平場 鎌倉市大町6-9
(鎌倉駅東口から徒歩約30分)

国指定史跡「大町釈迦堂口遺跡」は2月下旬から3月上旬に暫定公開されました。
同史跡は鎌倉南東部の「名越ヶ谷」の最奥にあり、平場と周辺の山稜部を含む遺跡です。
以前、この一帯には北条時政邸があったといわれましたが、発見された遺構が鎌倉時代初期ではなく、また武家屋敷でもなく、寺院等の宗教的な施設であったと考えられています。

平場北側の山稜部には「やぐら」が多く存在しています

◆遺跡内には60基を超える「やぐら」が確認されています
平場北側の山稜部には“地蔵やぐら”“唐糸やぐら”“日月やぐら”等の「やぐら」が数多くあり、60基を超える「やぐら」が確認されています。
「やぐら」は、鎌倉時代後期から室町時代にかけて墓として崖を掘り造られた横穴で鎌倉周辺に多く見られます。

日月(じつげつ)やぐら

“釈迦堂切通”の通行について

◆トンネルは明治時代以降に掘られたもののようです
史跡内には釈迦堂切通があります。
切通の大町側と浄明寺側を結ぶトンネルは明治時代以降に掘られたものと考えられています。
現在は通行再開に向けた工事中であるため、通行ができません。
その対策工事は完了していますが、現在も危険なためです。
鎌倉市では通行再開を令和8年度以降に予定しています。

釈迦堂切通大町側



“唐糸やぐら”の伝説とは…

遺跡内の「唐糸やぐら」の伝説です。
木曽義仲の家臣手塚光盛の娘唐糸(からいと)は、義仲の嫡男義高の乳母で、義高と共に鎌倉に来ます。
源頼朝の義仲追討と義高の死後は、2代の主の敵と頼朝をつけ狙います。
頼朝に仕えて、暗殺を謀りますが捕われ、土牢(ろう)に閉じ込められたのが「唐糸やぐら」といわれます。
「唐糸草子」では唐糸の娘万寿姫が鶴岡八幡宮で見事な今様を舞ったので褒美で唐糸が赦免されたとあります。
なお、唐糸やぐらの造られた年代は頼朝が活躍した時代の後だと考えられているため、あくまでも伝説です。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。