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大圓寺 目黒区下目黒1-8-5
(目黒駅から行人坂を下り徒歩3分)

鎌倉“釈迦堂ヶ谷”谷名の由来は、3代執権北条泰時が亡父義時の一周忌追善供養のため“釈迦堂(廃寺)”を建立したことに因(ちな)むようです。
その場所は未詳ですが、同谷周辺と言われています。
江戸期の宝永4年(1707)10月に大地震が、11月には富士山噴火があり、その折に大圓寺で出開帳中だった釈迦堂・本尊の釈迦如来像は、そのまま同寺に安置されました。
現在の台座は当時の出開帳の際に大圓寺で事前に作られたものです。

「清凉寺式釈迦如来」は国重文です

◆直近の特別公開は花祭りに合わせ4月4日~8日です
同寺の本尊・釈迦如来像(国重文、像高162.8cm、榧〔かや〕材使用)は源頼朝が、建久4年(1193)に京都嵯峨の清凉寺式釈迦如来像を模して制作し、北条家の念持仏として鎌倉・釈迦堂に祀(まつ)られていました。
現在、同寺では特別公開を実施しています。
直近では花祭りに合わせ4月4日(土)~8日(水)です。

清涼寺式釈迦如来

江戸城裏鬼門鎮護のお寺として創建

◆開運招福大黒天は島津藩主の寄進です
大圓寺は天台宗延暦寺派で天海大僧正が江戸城の鬼門の守りとして寛永寺を創建し、裏鬼門鎮護のため比叡山から伝教大師作と伝わる「三面大黒天」(秘仏)を勧請(かんじょう)し、同寺に祀りました。
本堂安置の「開運招福大黒天」は島津藩主の寄進で甲子祭(きのえねさい)の日には全国から多くの参詣人が訪れます。

開運招福大黒天



目黒行人坂(ぎょうにんざか)大火の事

江戸三大火事の一つ「目黒行人坂の大火」の火元は大圓寺で明和9年(1772)閏(うるう)2月29日でした。
火事は放火が原因で、強風で火は燃え広がり、麻布から江戸城の一部も焼き、千住辺りまで延焼、江戸八百八町のうち約六百三十町が炎上。
焼死者数は数知れず、人々はこの明和9年を“メイワクな年”だと揶揄(やゆ)して、元号を「安永」と改元。
同寺には、他にも火事にまつわる「八百屋お七」の逸話が伝わります。


かん治さん

「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。