

(鎌倉駅東口から徒歩約20分)
鶴岡八幡宮東側の大倉幕府旧跡の裏山に源頼朝の墓と北条義時の墓があります。
この辺りは「法華堂跡」として国指定史跡です。
頼朝の墓前の平場に鎌倉時代は頼朝の法華堂があり、堂は西向きであったと推定されています。
宝治元年(1247)の宝治合戦で三浦泰村一族は北条時頼に敗れ276人が堂内の頼朝の御影(肖像画)の前で自害しています。
明治初年の神仏分離令で法華堂は廃されます
◆江戸時代には、大蔵白旗神社の場所に法華堂がありました
江戸時代には、大蔵白旗神社の場所に法華堂がありましたが、明治初年(1868)の神仏分離令で廃されます。
明治5年(1872)に頼朝を祭神とする大蔵白旗神社が建てられました。
“法華堂”とは、当時の権力者等のために建てられた霊廟(れいびょう)・墳墓堂のことです。

北条義時法華堂跡は頼朝墓の東側の平場にあります
◆発掘調査で北条義時法華堂跡と推定されました
平成17年(2005)の発掘調査で、頼朝の墓の東側の平場に、建物の遺構が発見されました。
発見された遺構の位置が、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に記載された頼朝墓からの方位や地形と一致したことから、遺構は墳墓堂「北条義時法華堂」の跡であると推定されました。

頼朝の墓の石塔は江戸時代に薩摩藩主が新たに建てます
頼朝の墓は江戸時代の安永8年(1779)に薩摩藩主・島津重豪(しげひで)により整備が行われています。
現在も墓所内に残る碑文から当時、玉垣、灯籠、水盤等が寄贈されたことが分かりました。
層塔も同時期に整備されたものと考えられます。
層塔は、平成元年(1989)に塔身と第1層の蓋石(ふたいし)を残して損(そこ)なわれましたが、その翌年に修理・再建。
毎年、4月13日には「源頼朝公墓前祭」が頼朝の遺徳を偲(しの)んで行われています。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。


