かん治さんの歴史探訪
杉山和一は江島神社への参籠で 大出世をしました

杉山和一(わいち)は慶長15年(1610)伊勢の津に生まれ、5歳の頃に病が原因で不幸にも失明し、17歳で江戸に上り、鍼術(しんじゅつ)を学びます。和一は鍼術上達の願いで江島神社に参籠して、結願の日に下之宮(辺津宮)の石に […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
寺名は浄妙寺で地名が浄明寺 (鎌倉)なのは…

鎌倉市浄明寺は鎌倉五山第五位の浄妙寺に始まる地名ですが、江戸時代には、「浄妙寺」とも「浄明寺」「常明寺」とも書かれていたようです。 現在の地名「浄明寺」になったのは、諸説ありますが、格式の高い寺名をそのまま使うのをはばか […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
鵠沼海岸地区住民の要望で創建の「鵠沼伏見稲荷神社」

保養地であった藤沢の鵠沼海岸は、昭和4年(1929)に小田急江ノ島線が開通し「鵠沼海岸」駅を中心に住宅地として急速に街づくりが進んでいきます。そして同地区への鎮守社創建をという地区住民の要望で、昭和18年(1943)5月 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
御霊神社(坂ノ下)のご祭神は

平安時代に創建の鎌倉坂ノ下の「御霊(ごりょう)神社」は元々、鎌倉・梶原・村岡・長尾・大庭の相模五平氏をまつる「五霊神社」の社名でしたが、いつしか武勇に優れた鎌倉権五郎景正公一柱をご祭神とする「御霊神社」となりました。 景 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
青砥藤綱(あおとふじつな)の 鎌倉滑川での銭拾い伝説

『太平記』によれば、藤綱は夜中に東勝寺橋の上で、滑川に誤って銭十文を落とすと、家来に五十文で松明(たいまつ)を買わせ、川を照らし探し出させます。 同僚が「十文を探すのに、五十文も使って損だ」と笑うと 藤綱は「銭が川に沈ん […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
皇大神宮(藤沢)の創立は 平安時代初期

明治23年(1890)に藤沢町(当時)と鵠沼村は合併しましたが、鵠沼の中心は「皇大神宮」で現在でもその伝統があります。 創立は天長9年(832)の由緒あるお社で主祭神は天照皇大神です。屋島の合戦で有名をはせた「那須与一」 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
藤沢市内の「サバ神社」を探訪

大和市・横浜市・藤沢市の境川流域に12社ある「サバ神社」は、「鯖」「左馬」「佐馬」「佐婆」「佐波」とも漢字表記されます。 各社の主祭神は源義朝(源頼朝の父)が9社で他の3社は源満仲(平安中期の武将)です。社名は一説には義 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
龍ノ口(藤沢)の名前の由来

『江島縁起』に登場の五頭龍は天女との約束を守ります。日照りが続くと雨を降らせ、実りの秋には台風をはね返し、津波が来ると波に当たって押し返し、村人たちに感謝されます。しかし五頭龍の体は、そのたびに衰えていき、やがて尽きます […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
北条氏の家紋や新田義貞鎌倉 攻めに見る湘南の「龍伝説」

『太平記』には北条時政が江の島に参籠して子孫繁栄を祈ると美女が現れて繁栄を約束。女は龍となって海中に入っていき、龍が通った跡には大きな鱗が3枚残っていたとあります。そのことがあって時政は「三鱗(みつうろこ)」を北条氏の家 […]

続きを読む
かん治さんの歴史探訪
白旗神社(藤沢)のご祭神・ 源義経の伝説とは…

藤沢の白旗神社は古くから相模国一之宮の寒川比古命(さむかわひこのみこと)を祀(まつ)っています。 そして、源義経没後60年の宝治3年(1249)9月に源義経を合祀(ごうし)しました。 白旗神社 藤沢市藤沢2-4-7小田急 […]

続きを読む