かん治さんの歴史探訪
北条氏の家紋や新田義貞鎌倉 攻めに見る湘南の「龍伝説」

『太平記』には北条時政が江の島に参籠して子孫繁栄を祈ると美女が現れて繁栄を約束。女は龍となって海中に入っていき、龍が通った跡には大きな鱗が3枚残っていたとあります。そのことがあって時政は「三鱗(みつうろこ)」を北条氏の家 […]

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かん治さんの歴史探訪
白旗神社(藤沢)のご祭神・ 源義経の伝説とは…

藤沢の白旗神社は古くから相模国一之宮の寒川比古命(さむかわひこのみこと)を祀(まつ)っています。 そして、源義経没後60年の宝治3年(1249)9月に源義経を合祀(ごうし)しました。 白旗神社 藤沢市藤沢2-4-7小田急 […]

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かん治さんの歴史探訪
鎌倉の佐助稲荷神社に伝わる ありがたいお話とは…

源頼朝が伊豆に流されていた時に「かくれ里の稲荷」が夢枕に立ち挙兵を勧めます。頼朝=佐殿(すけどの)を助けた稲荷が佐助稲荷神社の名の由来です。境内には稲荷神のお使いである狐が多く祀(まつ)られています。 他に、狐に助けられ […]

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かん治さんの歴史探訪
鎌倉・片瀬・辻堂 西行法師ゆかりの史跡めぐり

西行法師は歌人の僧侶ですが、昔は佐藤兵衛尉義清(のりきよ)と言う名の北面の武士でした。 どうして「西行」という名前に? 西行は東大寺再興勧進の為に各地を歩いていて多くの伝説が残されています。     鎌倉の裁許橋の別名 […]

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大庭城址公園に残る 古代(縄文~平安)の集落址

藤沢の大庭城址公園がある、大庭城山(おおばしろやま)台地は、縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代など各時代の集落址があります。中世に大庭城が築かれる以前から、人々の生活の舞台となっていたようです。 大庭城址公園 藤沢市大 庭 […]

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萩寺として親しまれている 鎌倉「宝戒寺」

鎌倉小町の「宝戒寺」は天台宗の寺院です。開山は円観慧鎮。開基は後題醐天皇です。伽藍の建設には天皇の勅命を受けた足利尊氏が当たったといわれます。鎌倉の「萩寺」とも呼ばれます。 本覚寺 鎌倉市小町3-5-22鎌倉駅東口から徒 […]

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菅原道真公が御祭神 荏柄天神社は梅の名所

鎌倉にある荏柄天神社は創建が長治元年(1104)で、鎌倉では古い神社。この年の8月に雷雨と共に天神画像(学問の神様・菅原道真公)がこの地に降臨したので、里人が敬い神社を建てて御祭神としてまつったと伝えられています。古くは […]

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「馬入川(ばにゅうがわ)」の 呼び名の由来は?

国道1号線の馬入川は相模川河口の呼び名。ここにかかっている橋が馬入橋です。そこから茅ヶ崎方面へ約2㎞行くと国指定史跡「旧相模川橋脚」があります。橋脚は大正12年(1923)9月の関東大震災で突然水田の地中から出現しました […]

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かん治さんの歴史探訪
鎌倉英勝寺で見つけました

英勝寺は浄土宗で、現在の鎌倉で唯一の尼寺。祠堂(しどう)は開基・英勝院の位牌(いはい)を祀(まつ)る建物で、水戸家初代徳川頼房の子、徳川光圀によって建立されたようです。日光東照宮を思わせる鮮やかな彩色装飾が施されていて、 […]

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幕府の守り神だった夷神がなぜ商売繁盛の福の神に?

鎌倉本覚寺の夷(えびす)神は源頼朝が幕府の裏鬼門の守り神として、厄除け、悪を倒す武人としてまつられました。 その後、門前の滑川にかかる「夷堂橋」まで材木座から船が上がると港の守り神へとご利益を広げ商売繁盛の夷様になります […]

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