

(JR平塚駅から徒歩8分)
西暦380年、平塚の地に大地震がありました。
人々の苦しむ様を見かねた第16代仁徳天皇が父応神天皇を主祭神に平塚八幡宮の社を建てられました。
その後も相模国一国一社の八幡宮として、歴代の天皇や源頼朝をはじめとする武士からも崇敬を集めます。
戦国時代の兵火で社殿等は焼失しますが、徳川家康が江戸に入り、同宮の社殿を復興させました。
江戸時代には交通の要衝となり門前町として栄えます
◆江戸時代には平塚八幡宮の東西に東海道が通ります
江戸時代には、平塚八幡宮は東西に東海道が通り、集積港であった須賀への道、そして厚木、大山への道が交わる交通の要衝となり、門前は栄え、門前町の大門(だいもん)通は平塚商業発祥の地といわれています。

平塚八幡宮の神馬皐月(さつき)と東風(こち)
◆来春に子馬が誕生予定です
令和元年(2019)11月26日、天皇陛下ご即位奉祝記念事業の一環として、岐阜県高山市鎮座の櫻ヶ岡八幡神社から神馬(しんめ)「皐月」が奉納されました。
皐月は令和元年5月26日生まれの元気な女の子です。
神馬「東風」は同じく高山市からやってきました。
令和4年(2022)4月16日生まれの優しい男の子です。来春に子馬が誕生予定です。

平塚市は岐阜県高山市と友好都市となりました
平塚の街は明治以降に平塚八幡宮の北側に海軍火薬廠(しょう)が開設され発展しますが、同宮は大正12年(1923)の関東大震災で社殿は倒壊。
現在の社殿は昭和3年(1928)の竣工です。
昭和57年(1982)の平塚市制50周年記念で岐阜県高山市と友好都市となりました。
これは、寛治元年(1087)に平塚八幡宮の御分霊が、高山市の櫻ヶ岡(さくらがおか)八幡神社に勧請(かんじょう)されたことに由来します。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。


