頼朝の父・義朝は平治の乱で敗れ亡くなりますが、平清盛は母の池禅尼の嘆願で頼朝の命を助けます。
「“いず”れに流そうか」
「伊豆(いず)へ流せ」
と頼朝は伊豆に島送りになります。
その20年後に文覚(もんがく)上人の勧めで頼朝は平家討伐に挙兵します。
盛遠と袈裟御前
大御堂橋そばの文覚上人屋敷迹の碑には
「文覚は昔、遠藤盛遠という武士」
とあります。
友人の源渡(みなもとのわたる)の妻・袈裟御前(けさごぜん)に思いをよせ、ある夜、源渡の寝所に忍び入り布団の上から刀で斬りつけると、そこには袈裟の亡き姿があった。
落語では斬りつけると布団の中にはおひつに入ったご飯が。
「しまった、今朝の御膳か!」
鎌倉の補陀洛寺と成就院
材木座の補陀洛寺(ふだらくじ)は頼朝開基、文覚開山の寺院で、平家滅亡時の総大将平宗盛が最後まで持っていたと伝わる平家の赤旗があります。
極楽寺坂上の成就院の境内にはブロンズ像の「文覚上人荒行像」が安置されています。
落語「源平盛衰記」
文覚も後白河法皇により伊豆に流されていて、髑髏(どくろ)を3個持って頼朝に会いに来ます。
文覚「これが貴方の父上の髑髏だ。
平家を討伐して、父上の敵討ちを」
頼朝「しかし、何故3個もあるのだ」
文覚「小さいのは父上のご幼少の頃、
中くらいのが元服の折、
大きいのが亡くなった時のものだ」
頼朝「……」
かん治さん
「鎌倉検定は1級で
お酒は2級を飲んでいまして、
プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。