『太平記』によれば、藤綱は夜中に東勝寺橋の上で、滑川に誤って銭十文を落とすと、家来に五十文で松明(たいまつ)を買わせ、川を照らし探し出させます。
同僚が
「十文を探すのに、五十文も使って損だ」
と笑うと
藤綱は
「銭が川に沈んだままでは永久に損だ。
五十文で松明を買えば、銭は流通し、合わせて六十文は天下の利益だ」
と人々を諭したと伝わります。
権力にこびない公平な裁判に努めた藤綱
藤綱は北条時頼に仕え幕府の訴訟を担当し、清廉潔白な人柄といわれています。
ある時、執権北条氏の所領のことで訴訟事件が起こり、在地の荘官と執権が裁判で争うことに。
荘官側が正しいのですが他の奉行等は執権領なので荘官を負けにします。
しかし藤綱は、荘官の正しさを申し立てて執権を敗訴にしました。
荘官は所領安堵の恩に報いようと大金を俵に包み、藤綱邸の庭に後ろの山から落とすと、藤綱は激怒し
「訴訟は執権殿を思い、お上への悪い評判をお止めするためです」
と言い送り返しました。
鎌倉市重要建築物等に指定の唯一の橋
東勝寺橋(写真右)は滑川の中ほどに架かる橋名で、この奥の葛西ヶ谷にあった東勝寺(廃寺)に因みます。
大正13年(1924)に建造のコンクリート製で長さは10.5mのアーチ橋です。
アーチ橋は関東大震災後に数多く建造されます。
その後は、撤去の橋も多く、建造時の形を残す同橋は希少価値があり、平成14年(2002)、橋では唯一、鎌倉市景観重要建築物等に指定されています。
「銭拾い伝説」の楽しい話
藤綱の家来は五十文を主人から預かり、四十文を皆で分けて自分の懐に入れ十文を川から拾ったと主人に渡します。
それが主人の知るところとなり、結果的には、改めて川から拾ったという楽しい話も。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で
お酒は2級を飲んでいまして、
プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」
がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。