帰命山西向院延命寺(きみょうざんさいこういんえんめいじ)は若宮大路の下馬(げば)交差点近くにある浄土宗寺院で、ご本尊は阿弥陀如来坐像です。
仏師運慶が円応寺の閻魔(えんま)像を造った時の余りの木材で刻んだと伝わり“木あまりの弥陀”と呼ばれます。
本堂内左側には“身代り地蔵”と呼ぶ着衣裸形像が祀(まつ)られています。執権北条時頼夫妻が双六(すごろく)で遊んでいて、負けた方が着物を一枚ずつ脱ぐという賭けです。夫人は負けそうになり、心の中で日頃信仰のお地蔵様に一心にお祈りします。
双六盤の上にお地蔵様が立ち現われます
◆時頼夫人の祈りが通じて奇跡が…
夫人が祈ると不思議なことに裸のお地蔵さまが双六盤の上に立ち現われて夫人の窮地を救います。
以来、自分の身代わりになって助けてくれたお地蔵様を夫人は守り地蔵として一層深く信仰します。
町の人々も“身代り地蔵”と呼んで敬い、その伝説にちなみ現在でもお地蔵様は双六盤の上にお祀りされています。
夫人発願のこの地蔵様を祀る地蔵堂が延命寺の起源です。
“古狸塚(こりづか)”の伝説
◆町の人たちにもかわいがられた古狸
本堂裏の墓地にある「古狸塚」の伝説です。延命寺に住みついた古狸は人なつっこく、酒好きの和尚さんから酒を買いに行く役を頼まれると、徳利を持ち酒屋に買いに行きます。
古狸は、そんな姿を見ている町の人たちからもかわいがられていました。
江戸時代の終わり頃に、そのタヌキが天寿を全うすると、町の人たちはタヌキのためにお墓を建てて供養しました。
“赤穂浪士”の子息が住職を務めました
有名な赤穂浪士四十七士のひとり、岡島八十右衛門(やそえもん)の三男が出家して、延命寺の住職となっています。その住職が書いた『義士銘々伝(めいめいでん)』や『義士画像』があり、寺宝とされていました(作者は諸説あります)。
なお、今は銘々伝は非公開で画像は現存しません。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。