かん治さんの歴史探訪
和田氏と北条氏の武力抗争 「和田合戦」の発端とは…

信濃国住人の御家人泉親平が源頼家の遺児、千手丸を擁し北条義時討伐を計画。その発覚が和田合戦の発端で、賛同者の中に侍所別当和田義盛の四男義直、五男義重、甥の胤長(たねなが)の名がありました。義盛は頼朝の旗上げ以来、数々の功 […]

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今宮(雪ノ下)は三天皇が御祭神の鶴岡八幡宮境内末社です

鎌倉幕府3代将軍源実朝の死去後に朝廷と幕府の関係が悪化。承久3年(1221)5月に後鳥羽上皇の朝廷側と幕府の戦い「承久の乱」が起こり、幕府が勝利します。乱後に後鳥羽院は隠岐、順徳院は佐渡、土御門院は土佐に流されます。後に […]

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遊行寺の本堂とご本尊

本堂は木造銅葺(どうぶき)で木造では東海道随一といわれます。ご本尊の阿弥陀如来坐像は、高さ六尺一寸(184cm)、浅草日輪寺塔頭の宝珠院が浅草寺から譲り受けたものです。宝永5年(1708)夏、遊行48代賦国(ふこく)上人 […]

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「長谷寺(長谷)」の四万六千日

8月10日に長谷寺のご本尊をお参りすると、四万六千日分参拝したのと同じ功徳があるとされています。来山の方々には本尊の姿を表した「お身影(みえ)」が授けられます。当日朝4時から8時までの間は自由参拝になり、その間観音堂では […]

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教恩寺(大町)の辺りは鎌倉七座の中心地

時宗の中座山(ちゅうざさん)教恩寺の開山は知阿(ちあ)上人、開基は小田原城主三代北条氏康です。元々は材木座の光明寺境内にありましたが江戸時代の延宝6年(1678)に現在地に移築されました。手入れの行き届いた境内は街中と思 […]

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江ノ島湘南港築港とオリンピック

今年のオリンピックのセーリング競技は江の島で開催されますが、昭和39年(1964)の会場が江の島に選ばれたのは「時の運」があったようです。戦後、片瀬東浜は沿岸流のための浸食が問題になり、湘南港の築港を計画。それがオリンピ […]

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「八雲神社(大町)」は鎌倉最古の厄除神社です

八雲神社は永保年間(1081~1084)の創建と伝わります。『後三年合戦』で新羅三郎義光公は兄八幡太郎義家公の助勢に奥州に向かいます。その途中に、鎌倉に入ると悪疫流行で里人が難儀をしているのを知って、これを救うために京都 […]

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北条義時の法華堂跡(西御門)

『吾妻鏡』に鎌倉幕府第2代執権北条義時は元仁元年(1224)6月13日に62歳で死去、18日「戌の刻に前奥州禅門(義時)の葬送、故右大将家(源頼朝)の法華堂の東の山の上を以て墳墓と為す」、8月8日には「今日故奥州禅門室( […]

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常光寺(藤沢市本町)は文化財の多い寺院です

藤沢消防署本町出張所の脇を入ると、浄土宗の八王山摂取院常光寺があります。創立は元亀3年(1572)で本尊は阿弥陀如来、開山は明蓮社光誉西穏上人です。 本堂左脇に市有形民俗文化財の「庚申塔(こうしんとう)」が2基あり、万治 […]

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白旗神社(藤沢本町)は藤の花の名所です

源義経公が主祭神の白旗神社は藤の花(藤沢市の市花)の名所です。境内東側藤棚には薄紫色の“弁慶藤”が4月中旬から1mほどの花房を幾重にも垂れ咲き始めます。下旬には弁慶藤が見頃になり、その後に社務所前の藤棚には真っ白な房の“ […]

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