★湘南えるバックナンバー2
湘南える 10/9号 Vol.48

   

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かん治さんの歴史探訪
和田氏と北条氏の武力抗争 「和田合戦」の発端とは…

信濃国住人の御家人泉親平が源頼家の遺児、千手丸を擁し北条義時討伐を計画。その発覚が和田合戦の発端で、賛同者の中に侍所別当和田義盛の四男義直、五男義重、甥の胤長(たねなが)の名がありました。義盛は頼朝の旗上げ以来、数々の功 […]

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★湘南えるバックナンバー2
湘南える 9/25号 Vol.47

   

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かん治さんの歴史探訪
今宮(雪ノ下)は三天皇が御祭神の鶴岡八幡宮境内末社です

鎌倉幕府3代将軍源実朝の死去後に朝廷と幕府の関係が悪化。承久3年(1221)5月に後鳥羽上皇の朝廷側と幕府の戦い「承久の乱」が起こり、幕府が勝利します。乱後に後鳥羽院は隠岐、順徳院は佐渡、土御門院は土佐に流されます。後に […]

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湘南ナチュラリスト
Vol.23 亀山 和明さん

【2021年8月21日号】
海という共通項を通して感動のスイッチを絵で表現

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かん治さんの歴史探訪
「長谷寺(長谷)」の四万六千日

8月10日に長谷寺のご本尊をお参りすると、四万六千日分参拝したのと同じ功徳があるとされています。来山の方々には本尊の姿を表した「お身影(みえ)」が授けられます。当日朝4時から8時までの間は自由参拝になり、その間観音堂では […]

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かん治さんの歴史探訪
教恩寺(大町)の辺りは鎌倉七座の中心地

時宗の中座山(ちゅうざさん)教恩寺の開山は知阿(ちあ)上人、開基は小田原城主三代北条氏康です。元々は材木座の光明寺境内にありましたが江戸時代の延宝6年(1678)に現在地に移築されました。手入れの行き届いた境内は街中と思 […]

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★湘南えるバックナンバー2
湘南える 7/10号 Vol.42

   

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かん治さんの歴史探訪
「八雲神社(大町)」は鎌倉最古の厄除神社です

八雲神社は永保年間(1081~1084)の創建と伝わります。『後三年合戦』で新羅三郎義光公は兄八幡太郎義家公の助勢に奥州に向かいます。その途中に、鎌倉に入ると悪疫流行で里人が難儀をしているのを知って、これを救うために京都 […]

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★湘南えるバックナンバー2
湘南える 6/26号 Vol.41

    

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