“銭洗弁天(鎌倉)”の正式名称は「銭洗弁財天宇賀福神社」です。
平家を壇ノ浦で滅ぼした巳の年の文治元年(1185)の巳の月の巳の日の夜に頼朝の夢枕に宇賀福神が立ち「(幕府の)西北の谷に湧き出ている霊水で神仏を供養すれば天下は平和になります」と告げます。
夢から覚めた頼朝は家来にその場所を探らせると夢のお告げ通り岩の間からきれいな泉が湧き出ていました。
頼朝はそこに岩窟を掘らせて宇賀福神を祀(まつ)ったのが同社の始まりです。
銭洗弁天本社/鎌倉市佐助2-25-16 鎌倉駅西口より徒歩20分
頼朝の心を継いだのは5代執権北条時頼
◆時頼は自ら率先して銭洗水で金銭を洗います
時頼は頼朝の心を継いで、この福の神を信仰し「この水でお金を洗い清めると福銭となり必ず一家は栄えます」と人々に勧め、巳の日を選んで参拝させました。
すると、不思議にも銭洗水で洗い清めた金銭は無くなることはなく幸福に御利益を授かったようです。
その後は多くの参拝者で賑わうようになりました。
四方を急な崖で囲まれています
◆銭洗弁天の入口は隧道になっています
同社入口の隧道(ずいどう)は昭和30年代に造られました。それ以前は現在「裏参道」と呼ばれる南側の細い参道が本来の入口でした。境内には本社(ほんしゃ)、奥宮(おくのみや)、上之水(かみのすい)神社、下之水(しものすい)神社、七福(しちふく)神社の5つのお社(やしろ)があります。
◇◇◇◇ 弁財天と宇賀福神を合わせ持つ御利益があります ◇◇◇◇
この神社は仏教の水の神「弁財天」と、神教の財をもたらす「宇賀福神」の神仏混交でした。宇賀福神とは頭は老人で首から下は蛇身で、ご神体は境内の奥宮に祀られています。
この泉から湧き出る水は、人々に財を施し富み栄えるといわれています。
かん治さん
「鎌倉検定は1級で お酒は2級を飲んでいまして、プレゼントをいただきますと喜んでサンキュウと言っています」がお決まりの自己紹介。
「鎌倉ガイド」としても活躍する湘南通のアマチュア落語家。