通称“鎖大師”で親しまれる青蓮寺
【2023年2月25日号】青蓮寺(しょうれんじ)のご本尊は「鎖大師(くさりだいし)」です。弘法大師のお像で国の重要文化財です。「新編鎌倉志」に「弘法自作の木造あり。鎖大師というなり。鎖を以(も)って膝を屈伸するように造る故に名づく」と記されています。
遊行寺の“涅槃会(ねはんえ)”
【2023年2月11日号】時宗総本山清浄光寺(遊行寺)では、2月14日夕刻にお逮夜(たいや)法要、翌日15日は朝の勤行の後に“涅槃会”が執り行われます。2月15日はお釈迦(しゃか)様が入滅された日でそのご遺徳をしのぶ法要です。
十二所神社は十二所の村名の起り
【2023年1月28日号】十二所(じゅうにそう)神社は弘安元年(1278)の創建と伝わります。元は光触寺境内にあり「熊野社」または「十二所権現」と称していました。『新編相模国風土記稿』に「十二所」の村名の起こりと記されています。
寒川神社の八方除は全国に知られています
【2023年1月14日号】寒川神社(寒川町)は江戸(東京)から見て南西の裏鬼門にあたり、古来より関八州(関東八カ国)の守護神として崇敬され、特に八方除(はっぽうよけ)の神様として全国に知られています。
鶴嶺八幡宮(茅ヶ崎市)は源氏にゆかりの神社です
【2022年12月24日号】鶴嶺八幡宮は平安時代に源頼義(源頼朝の5代前の祖)が平忠常の乱を鎮圧する時に、京都の石清水八幡宮を勧請(かんじょう)して“懐島(ふところじま)八幡宮”を創建したことに由来。
“勝長寿院”は源氏の菩提寺でした
【2022年12月10日号】勝長寿院(しょうちょうじゅいん)は源頼朝が父義朝の菩提(ぼだい)を弔うために創建しました。大きな寺だったので“大御堂(おおみどう)”とも、また大倉御所の南の勝地に建立したので“南御堂”とも呼ばれています。
鎌倉一の紅葉の名所“獅子舞の谷”
【2022年11月26日号】鎌倉駅からバスに乗車、「大塔宮」で下車。5分ほど歩くと“永福寺(ようふくじ)跡”があります。二階堂川に架かる“通玄寺橋”前で左折して川沿いに10分ほど歩きます。入口辺りの地名は“亀ヶ淵”。少し行くと“獅子舞(ししまい)”です。
光触寺(十二所)の“頬焼阿弥陀”の由来
【2022年11月12日号】光触寺(こうそくじ)は、鎌倉の東方の十二所(そ)にある時宗の寺院です。一遍聖人が弘安5年(1282)に鎌倉へ来たときに、開山の作阿上人(元は真言宗の僧)が聖人に帰依して時宗に改めました。
皇大神宮(藤沢)は“大庭御厨総鎮守”と呼ばれていました
【2022年10月22日号】皇大神宮は長治元年(1104)に鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢神宮の御厨(みくりや)として寄進したので“大庭御厨”呼ばれるようになります。
金剛寺(秦野市)は源実朝にゆかりの寺院
【2022年10月8日号】金剛寺は三代将軍・源実朝にゆかりの寺院です。実朝は右大臣拝賀の式後に鶴岡八幡宮境内で甥の公暁に暗殺されます。公暁は実朝の御首(みしるし)を抱えて逃走するも誅(ちゅう)殺されています。実朝は源家の菩提寺・勝長寿院(廃寺)に葬られますが『吾妻鏡』には「御首の在所を知らず…」とあります。その御首は金剛寺に埋葬されたと伝わっています。