皇大神宮(藤沢)は“大庭御厨総鎮守”と呼ばれていました
【2022年10月22日号】皇大神宮は長治元年(1104)に鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢神宮の御厨(みくりや)として寄進したので“大庭御厨”呼ばれるようになります。
金剛寺(秦野市)は源実朝にゆかりの寺院
【2022年10月8日号】金剛寺は三代将軍・源実朝にゆかりの寺院です。実朝は右大臣拝賀の式後に鶴岡八幡宮境内で甥の公暁に暗殺されます。公暁は実朝の御首(みしるし)を抱えて逃走するも誅(ちゅう)殺されています。実朝は源家の菩提寺・勝長寿院(廃寺)に葬られますが『吾妻鏡』には「御首の在所を知らず…」とあります。その御首は金剛寺に埋葬されたと伝わっています。
補陀洛寺(材木座)は源頼朝の創建
【2022年9月24日号】 補陀洛寺(ふだらくじ)は養和元年(1181)に頼朝が打倒平家の祈願所として創建。開山は伊豆に配流中の頼朝に平家討伐を勧めた文覚上人です。
銭洗弁天は源頼朝の夢のお告げで創建
【2022年8月27日号】
“銭洗弁天(鎌倉)”の正式名称は「銭洗弁財天宇賀福神社」です。平家を壇ノ浦で滅ぼした巳の年の文治元年(1185)の巳の月の巳の日の夜に頼朝の夢枕に宇賀福神が立ち「(幕府の)西北の谷に湧き出ている霊水で神仏を供養すれば天下は平和になります」と告げます。
浄楽寺は和田義盛夫妻の発願
【2022年8月6日号〜かん治さんの歴史探訪】 浄楽寺(横須賀市)の正式名称は金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺です。その開創は不明ですが、文治5年(1189)に鎌倉幕府侍所初代別当和田義盛が夫人と共に発願し、運慶作の阿弥陀三尊 […]
福寿寺(三浦市)は三浦義村が開基です
【2022年7月23日号〜かん治さんの歴史探訪】 三浦市の金田湾南端の丘に岩浦山(いわぶさん)福寿寺があります。開基義村は三浦義澄の次男で母は伊東祐親の娘です。幼名は平六、後に駿河守・評定衆に任ぜられています。源頼朝挙兵 […]
和賀江嶋は北条泰時の協力で完成
【2022年7月9日号〜かん治さんの歴史探訪】 材木座の東南の端の和賀江嶋は、日本に現存する最古の築港遺跡で国指定史跡です。「和賀」は材木座の古名。この辺りは遠浅の海で大風や波浪で難破・破損する船が多く港湾整備が必要でし […]
朝夷奈切通には数々の伝説があります
鎌倉は三方を山に囲まれて、他地域との往来は山越えしかありません。山の尾根を切り開いたのが“切通”です。鎌倉には七口あり、その一つが鎌倉と金沢を結ぶ“朝夷奈切通(あさいなきりどおし)”です。和田義盛の三男の豪傑で知られた“ […]
東光禅寺は畠山重忠が開基です
横浜市金沢区釜利谷の東光禅寺は建仁年間(1201~1204)に重忠が創建したと伝わります。創建当時は鎌倉の薬師堂ヶ谷(現二階堂大塔宮辺り)にあり、医王山東光寺と称していました。弘安5年(1282)に大興禅師を開山に招き臨 […]