かん治さんの歴史探訪
鶴嶺八幡宮(茅ヶ崎市)は源氏にゆかりの神社です

【2022年12月24日号】鶴嶺八幡宮は平安時代に源頼義(源頼朝の5代前の祖)が平忠常の乱を鎮圧する時に、京都の石清水八幡宮を勧請(かんじょう)して“懐島(ふところじま)八幡宮”を創建したことに由来。

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かん治さんの歴史探訪
“勝長寿院”は源氏の菩提寺でした

【2022年12月10日号】勝長寿院(しょうちょうじゅいん)は源頼朝が父義朝の菩提(ぼだい)を弔うために創建しました。大きな寺だったので“大御堂(おおみどう)”とも、また大倉御所の南の勝地に建立したので“南御堂”とも呼ばれています。

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かん治さんの歴史探訪
鎌倉一の紅葉の名所“獅子舞の谷”

【2022年11月26日号】鎌倉駅からバスに乗車、「大塔宮」で下車。5分ほど歩くと“永福寺(ようふくじ)跡”があります。二階堂川に架かる“通玄寺橋”前で左折して川沿いに10分ほど歩きます。入口辺りの地名は“亀ヶ淵”。少し行くと“獅子舞(ししまい)”です。

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かん治さんの歴史探訪
光触寺(十二所)の“頬焼阿弥陀”の由来

【2022年11月12日号】光触寺(こうそくじ)は、鎌倉の東方の十二所(そ)にある時宗の寺院です。一遍聖人が弘安5年(1282)に鎌倉へ来たときに、開山の作阿上人(元は真言宗の僧)が聖人に帰依して時宗に改めました。

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皇大神宮(藤沢)は“大庭御厨総鎮守”と呼ばれていました

【2022年10月22日号】皇大神宮は長治元年(1104)に鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢神宮の御厨(みくりや)として寄進したので“大庭御厨”呼ばれるようになります。

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金剛寺(秦野市)は源実朝にゆかりの寺院

【2022年10月8日号】金剛寺は三代将軍・源実朝にゆかりの寺院です。実朝は右大臣拝賀の式後に鶴岡八幡宮境内で甥の公暁に暗殺されます。公暁は実朝の御首(みしるし)を抱えて逃走するも誅(ちゅう)殺されています。実朝は源家の菩提寺・勝長寿院(廃寺)に葬られますが『吾妻鏡』には「御首の在所を知らず…」とあります。その御首は金剛寺に埋葬されたと伝わっています。

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補陀洛寺(材木座)は源頼朝の創建

【2022年9月24日号】 補陀洛寺(ふだらくじ)は養和元年(1181)に頼朝が打倒平家の祈願所として創建。開山は伊豆に配流中の頼朝に平家討伐を勧めた文覚上人です。

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元八幡(由比若宮)は源頼義の創建です

【2022年9月10日号】源頼朝の5代前の祖・頼義が山城国(現在の京都府)の石清水八幡宮に戦勝を祈願して前九年合戦で奥羽の豪族安倍氏を討ちます。

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銭洗弁天は源頼朝の夢のお告げで創建

【2022年8月27日号】
“銭洗弁天(鎌倉)”の正式名称は「銭洗弁財天宇賀福神社」です。平家を壇ノ浦で滅ぼした巳の年の文治元年(1185)の巳の月の巳の日の夜に頼朝の夢枕に宇賀福神が立ち「(幕府の)西北の谷に湧き出ている霊水で神仏を供養すれば天下は平和になります」と告げます。

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浄楽寺は和田義盛夫妻の発願

【2022年8月6日号〜かん治さんの歴史探訪】 浄楽寺(横須賀市)の正式名称は金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺です。その開創は不明ですが、文治5年(1189)に鎌倉幕府侍所初代別当和田義盛が夫人と共に発願し、運慶作の阿弥陀三尊 […]

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