来迎寺(材木座)は三浦大介義明ゆかりの寺院
来迎寺は、もとは源頼朝が三浦大介義明の菩提(ぼだい)を弔うため、建久5年(1194)に建立の「能蔵寺」という真言宗寺院でした。建武2年(1335)に開山の音阿(おんあ)が時宗寺院に改め「来迎寺」となります。本尊は義明の守 […]
安養院はツツジの名所
安養院は鎌倉では最大のツツジの名所で4月中旬頃から咲き始めます。山門前や道路側の土手に咲いているのはオオムラサキツツジで色合いが見事です。大正12年(1923)の関東大震災後に植えられたもので100年近い樹齢になります。 […]
大江稲荷社のご祭神は”大江広元”・・・
広元は初代公文所別当で鎌倉幕府の文官として活躍 広元は源の頼朝の招きで鎌倉に下向。頼朝に守護、地頭の設置を献策し、また、承久の乱では、上洛を主張し幕府側の勝利に貢献します。広元邸は、十二所(じゅうにそ)の明王院の辺りで近 […]
延台寺(大磯町)に伝わる”曽我兄弟のあだ討ち”とは…
延台寺は虎女(とらじょ)/虎御前が開いたお寺です。同寺の法虎庵に霊石「虎御石(とらごいし)」が祀(まつ)られています。昔、大磯の長者夫婦は子宝に恵まれず「虎池弁財天」に祈願。すると夢枕に弁財天が現れ、目覚めると枕元に小さ […]
東林寺(伊東市)の開基は伊東祐親
伊東祐親(すけちか)は北条義時の母方の祖母、平安時代後期の武将で伊豆伊藤庄の領主でした。平氏に仕えて、伊豆に流罪の源頼朝の監視役を担っていますが、頼朝が祐親の娘に一子を生ませると激怒してその子を殺害。頼朝も命を狙われて、 […]
修善寺の”修禅寺”は曹洞宗寺院
”修禅寺”の歴史は宗派的に、真言、臨済、曹洞の三つに区分できます。創立は大同2年(807年)で弘法大使とその弟子によって開かれた真言宗の寺で、その後、建長寺開山の蘭渓道隆禅師が一時居住すると臨済宗として栄え、次は北条早雲 […]
伊豆の国市の「願成就院」は北条時政の創建
“天守君山願成就院”は時政開基の寺院です。『吾妻鏡』 文治5年(1189)6月6日の条に時政が源頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して伽藍(がらん)を造営したとあります。 この辺りは現在の伊豆半島の北半部で、南条・北条・上 […]
伊豆の国市南江間の「北條寺」は北条義時の創建
「北條寺」寺伝によれば、義時は長男安千代が亡くなるとその菩提(ぼだい)を弔うために墓所として七堂伽藍の寺院を建立したとあります。当時の仏殿には義時が運慶に命じて造ったと伝わる本尊「木造阿弥陀如来坐像」、南北朝時代造像の「 […]
覚園寺は北条義時ゆかりの寺院
真言宗泉湧寺派の覚園寺(二階堂)は義時が建立の大倉薬師堂が始まりです。永仁4年(1296)に蒙古襲来の再来がないように北条貞時が四宗(天台・真言・禅・浄土)兼学道場としての寺の改めます。薬師堂ヶ谷の奥深い境内は古都鎌倉ら […]
12月18日は「長谷寺」の歳の市
年の瀬の観音様のご縁日(18日)には長谷寺で「歳の市」が開かれます。参道には多くの屋台が立ち、飲食の他、だるま、熊手などの縁起物、神棚や暦などが売られます。昔は鎌倉市内の他寺社でも開かれていましたが、今は長谷寺だけです。 […]